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「読みやすさ」ってなんだろう? 一人一人の見え方を探る、インクルーシブデザインフォントの試み

フォントワークスでは、2023年3月から「インクルーシブデザインフォント(IDフォント)」の提供を開始しました。

高齢者・視覚障がい者(弱視)向けフォント 『インクルーシブデザインフォント(IDフォント)』開発・提供開始のご案内 | Fontworks

「インクルーシブデザイン」とは、高齢者、障害者、外国人など、従来デザインプロセスや製品・サービスのユーザーから除外されてきた多様な人々を、デザインプロセスの上流から巻き込み、一緒にデザインを行っていくロンドンの英国王立芸術大学院から生まれたデザイン手法を指します。

現在フォントワークスでは、インクルーシブデザインのアプローチに基づき、視覚機能が落ちてきた高齢者の方や、視覚障がい(弱視)を持つ方に向けたIDフォントを提供しています。この取り組みの背景について、研究・開発を進めてきた開発部の津田 昭さんに詳しくお話を聞いてみました。


1:UD(ユニバーサルデザイン)とID(インクルーシブデザイン)、アプローチの違い

— フォントワークスでは、これまでもユニバーサルデザインに配慮したフォントの研究と開発を行い、全ての人に有効なデザインを目指した「UDフォント」を提供してきました。今回のインクルーシブデザインフォント(以下、IDフォント)は、UDフォントとはどのように違うのでしょうか?

津田 UDフォントもIDフォントも、読みやすさを重視して開発しているのは同じです。UDフォントについては、九州大学との共同研究で2013年から取り組み始めました。フォントワークスでは“可読性・視認性・判別性”でUD性能を評価しているのですが、実験をもとにこれらを客観的に評価し、UD性能を向上させたフォントを開発していくというものです。

[資料]フォントブログ「ユニバーサルデザインフォント(UDフォント)」 | Fontworks

 UDフォントの研究に取り組む中で、文字の読みやすさを考えるには、“文字を読む人(体験者)”と、その人が見ている“環境”という二つの軸が重要だということが明らかになってきました。

— 人によって目の特性は違いますし、紙の資料を読むときと、VRでの空間で文字を読むのでは見え方が変わりますね。

津田 とはいえ、「UD角ゴ_スモール」と「ラグランパンチ」を比べて、ラグランパンチの方が読みやすいという状況はあまり考えられないでしょう?

— たしかに……。背景がものすごくごちゃごちゃしているとか、極端な状況でなければ「UD角ゴ_スモール」の方が読みやすいと感じると思います。

津田 より多くの人が一般的な環境で読みやすいと感じられるように、言わば最大公約数を取る考え方で開発してきたのがUDフォントです。
 一方で、多くの人に読みやすくても、それ以外の人にとってはもっと最適なフォントが提供できるかもしれない。そこで体験者の見え方の違いに注目して、特定のグループごとに最適化したフォントを届けることができないか、という考えで開発に取り組んだのが「インクルーシブデザインフォント(IDフォント)」というわけです(*1)。

*1:フォントワークスでは環境の違いに焦点を当てたフォントの開発にも取り組んでいます。例として、ウェアラブルデバイス等での利用を想定した「極小画面デバイス向けフォント」や、AR環境下での表示に最適化した「ARフォント」の開発・提供を行っています。


2:可読性・判別性を測る評価実験

— 今回リリースされたIDフォントは、高齢者と視覚障がい者(弱視)向けにそれぞれ最適化されているのですよね。

津田 はい。高齢者は、65歳以上の人を対象にフォントの評価実験を行いました。視覚障がい者については見えづらさの幅がかなり広いため、研究を進めていく中で弱視の人に絞って評価を進めていくことにしました。それぞれ40名ほどの方に参加していただいています。

— フォントの比較評価をして、どうするとUD性能が上がるのかを調べていくとのことですが、実際どのような実験をするのですか?

津田 まず「UD角ゴ_スモール B」をベースに調整を加えた数種類のフォントを開発して、それらを「可読性評価実験」「判別性評価実験」で評価していきます。
 可読性実験では主観的な「読みやすさ」を評価していきます。2種類のフォントで同じテキストを表示して、どちらが読みやすいかを回答してもらう、というものです。

異なるフォントでどちらが読みやすいかを判断してもらう可読性評価実験

 判別性実験は、似ている文字をきちんと判別できるかを評価します。この実験は、はじめに似た2文字の対——例えば「ツ・シ」を3秒間表示して、一度隠します。その後に「ツ・ツ」「シ・ツ」など並びが異なるものを含む4パターンの対を表示して、最初に見たのと同じものはどれかを回答してもらいます。正答率が高く、回答までの時間が速い方が、判別しやすいフォントだということになります。

似ている文字を判別する判別性実験

 それぞれ詳しい実験結果はこちらの報告をご覧ください。

[資料]視覚障がい者(弱視)、高齢者のためのIDフォントの研究 | Fontworks


3:実験で分かってきた見えづらさの傾向

— 実験の結果、それぞれのグループで可読性・判別性が向上したものが、IDフォントとして採用されたわけですね。高齢者の方と視覚障がいを持つ方で、見えづらさの傾向など、気づいたことはありましたか?

津田 高齢者の場合は、徐々に視覚機能が落ちてきます。全体的な傾向を挙げると、書体のデザインは錯視を意識して調整されているのですが(*2)、どうも加齢とともに錯視でもたらされる誤差の量が変わっていくようで、錯視調整を抑えたフォントの方が可読性が向上する結果になりました。
 ただ、65歳以上でも若齢のときと変わらない視覚機能を維持している人もいるので、見えづらさにはばらつきがあります。全体的には錯視調整を抑えたフォントの評価が高いですが、そのフォントを読みづらいと評価している方も一定数いるということですね。

高齢者向けIDフォントの漢字は、横画を従来のものより太く調整している

*2:ゴシック体の場合、縦画と横画が同じ太さだと横角の方が太く見えるため(フィック錯視)、縦画を横画よりも太くすることで画線の太さが均一に見えるようにデザインされている。

— そんなところにも見え方の違いが表れてくるのですね。視覚障がい者の方々についてはどうでしょうか。

津田 視覚障がい者の場合、高齢者のような「この人には読みやすいけど、この人には読みづらい」という評価のばらつきは少なく、判別性を向上させたフォントを採用しました。

高齢者向けと視覚障がい者(弱視)向け、それぞれに合った判別性向上のための調整を加えている

 どうすれば可読性・判別性が向上するか、確実なことを言うのは難しいのですが……ある程度、濃度が濃く(画線が太く)ないと読みづらいというのは分かっていて、これは高齢者の場合も共通しています。
 他にもいくつか実験を通して見えてきたことがあり、例えば羞明(しゅうめい)という眩しさを強く感じる症状を持っておられる方は、「ぽ・ぼ」など濁点・半濁点の違いを判別するのがとても難しいようです。それなら濁点や半濁点をもっと大きくすればいいと思うかもしれませんが、そうすると他の要素が小さくなって読めなくなってしまいますよね。こうした方々には、もっと別の解決方法を考えなければいけないかもしれません。

— フォントだけでは解決できない……それぞれの見え方を知ることができたり、適したフォントが選べるようなしくみも考えていく必要があるのかなと思いました。あらゆる人に読みやすい、情報が伝わりやすいって本当に難しいことなんですね。

津田 研究を進めれば進めるほど、その難しさが分かってきています。


4:あらゆる人に最適なフォントを届けるには

— IDフォントの研究はまだまだ展開されていくと思いますが、まずは高齢者や視覚障がい者の方向けに情報を伝える場面で、IDフォントを採用いただくという選択肢ができました。他にも読みやすさのために、デザイナーや文字を使う人が配慮できそうなことはありますか?

津田 UDフォントの研究を進めていく中で、「どのようなデザインがUD性能を上げるのか」という関連性を探るため「形態属性計測」という実験を行いました。その結果、「黒み面積」「字面面積」がUD性能と関連性が高いことが分かっています。

黒み面積とは、文字を収める矩形(仮想ボディ)に対して、塗りつぶされた領域の平均値。同じ書体でも、黒み面積のバランスが良いウエイトを選ぶことで読みやすさが向上する
字面とは、文字に内接する矩形の平均的な大きさのこと。適度に余裕を持った字面面積にすることで読みやすさが向上する

— それは高齢者や視覚障がい者に関わらず、ということですね。

津田 そうです。フォントワークスのUD角ゴシック体には「UD角ゴ_ラージ」と「UD角ゴ_スモール」がありますが、スモールはラージに対して字面面積をおよそ2%縮小しています。たった2%ですが、長文を表示するときはスモールの方がより可読性が向上します。

— UDフォントやIDフォントを使わない場面でも、黒みや字面のバランスに意識を向けてフォント選びをすると、より読みやすさが向上するかも、と。

津田 また、その文章を読む人がどんな層に分布しているか、ということに意識を向けていくことも大事だと思います。

— それはIDフォントの取り組みとも共通した考え方ですね。フォントの開発だけでなく、一人一人の見え方の違いや、最適なフォントが分かるようなしくみがあるといいな……と考えたりしました。

津田 そうですね。とても難しいことですが、真に読みやすさを追求するなら「ある人が、ある体験をするときに最適なフォントが選ばれる」というのが究極の目標です。
 また、研究を進めていく中で、読みやすさにもいろいろあるのではないかと思うようになりました。長く読み続けても疲れないとか、ぱっと見て理解しやすいとか。体験者と環境だけでなく、読む時のその人の気持ちなんかも関わってくるかもしれない、ということを考えたりしています。

— 「読みやすさ」の研究がとても広く、多様性とも深く関わるテーマだというのがよく分かりました。より多くの人に最適なフォントを届けられるように、挑戦すべきことはまだまだありそうです。今後もフォントワークスみんなで取り組んでいけるように、しっかり学んでいきたいと思います。

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