グラフィックデザイナー 坂野公一さんと、「こわい本」のフォントを語ろう
こんにちは、フォントワークスnote編集部のフォンテーヌです。
さまざまなデザイナーの皆さんと、フォントLOVEなお話をお届けする「今月の、フォント推し話!」。今回は、ゲストに書籍の装丁やエディトリアルデザインを中心に活動するデザインオフィス、welle design代表の坂野公一さんをお招きして、「こわいフォント」をテーマにお話を聞いていきます。
きっかけは、社内でホラーやミステリーなど「こわい本」にハマっているメンバーからの「ぜひ坂野さんにお話をうかがいたい!」というリクエストでした。
言われてみれば、あの本も、この本も……。welle designのお仕事を見ると、ドキドキするジャンルの本をとても多く手がけられています。しかも、背筋がぞわぞわする恐怖や、ヒリヒリするような緊張感など、文字使いから感じる「こわさ」にもいろいろありそうです。
これは聞いてみるっきゃない! ブックデザインの視点から、ホラーやミステリー、サスペンスなどなど「こわい本」のデザインと書体選びについて詳しくうかがっていきたいと思います!!
ホラー、ミステリー、サスペンス…「こわい」フォントの選び方
フォンテーヌ 今回は「こわい本」の装丁と、そこで使用されている書体に注目してお話ししたいなと思っています。坂野さんがこうしたジャンルの装丁を手がけられるようになったきっかけは?
坂野 僕が独立をして最初に手がけた仕事が、京極夏彦さんの『豆腐小僧双六道中ふりだし』の装丁だったんです。その本を出版しているのが主にミステリーを扱っている講談社の文芸第三出版部で、それをきっかけに、立て続けにお仕事をいただくようになりました。自分からミステリーの装丁家になろうとしていたわけではなかったですね。
フォンテーヌ 独立される前は、グラフィックデザイナー・杉浦康平さんのデザイン事務所にいらしたのですよね。その頃から装丁の仕事がメインだったのでしょうか。
坂野 そうですね。杉浦さんはブックデザインの大家として多くの方に知られていますが、僕も杉浦さんの装丁に憧れて、大学時代から教えを乞い、事務所に入ったという経緯があります。その頃も仕事の軸は装丁でしたし、独立後もそうしていきたいなとは常々思っていて、幸いにも現在こうしてお仕事させていただいています。
フォンテーヌ 普段、装丁に取り組む際の書体選びはどのようにされていますか?
坂野 書体の選び方については事務所時代に染み付いた感覚があります。特に僕ら以上の世代のデザイナーにとっては、“杉浦さんの書体”というイメージがある秀英明朝初号活字(現デジタル書体の「DNP 秀英初号明朝」)の使い方は当時教わりましたし、いまでも「この仕事では秀英初号を使えるか」をまず考えるようにしています。
装丁ってなにげなく文字を置いているように見えるかもしれませんが、文字の太さや大きさ、タイトルと著者名との距離感など、ほんの少しの調整で読みやすさや雰囲気が変わってきます。その最後の調整に時間をかけるようにしているので、本当に作品にふさわしい書体なのかという迷いをなくすためも、あらかじめいくつかの信頼できる書体を決めているんです。
フォンテーヌ お仕事を拝見すると「筑紫書体」シリーズもたくさん使ってくださっている印象があります。
坂野 実は「筑紫Aオールド明朝」が出るまではさほど使っていなかったのですが、このファミリーの細さが素晴らしくて使いはじめました。ウエイトが複数あるので本文にも見出しにも使えますし、癖があるようでいて実はオールマイティな書体だと思います。漢字も綺麗なので、使わない理由がないくらいですね。
フォンテーヌ ありがとうございます! ではさっそく「こわい本」とフォントのお話をうかがっていきたいのですが、坂野さんの装丁を見ていく中で、ジャンルによってタイトルの書体選びに違いがあるのが面白いなと感じていたんです。文字から伝わってくる「こわさ」の質が違うというか……。意識して使い分けられているのですか?
坂野 一概には言えませんが、例えばホラーに適している書体は、ゴシック体よりも明朝体だと思います。線の揺らぎやふわふわとした感じで不穏さを表すことができますし、組み方を崩すことで引っかかりが生まれ、それがこわいという感覚と呼応したりするのかなという気がしています。
フォンテーヌ ミステリーやサスペンスにおける「こわさ」を表現するならどうでしょうか。
坂野 実はミステリーの場合はそこまでこわさは意識していなくて、ある種の重厚感や、ストーリーの重みが書体に乗ればいいのかなと思っています。書体としては、力強い太さと癖のある秀英初号明朝を使うことが多いです。
フォンテーヌ 秀英初号明朝じゃないと出せない重厚感、ノワールな雰囲気に合いそうです。一方、先ほど話に挙がった筑紫Aオールド明朝など、細いウエイトでシャープに表現されている例もありますね。緊張感やリリカルさを感じたり、あと、今っぽい雰囲気というか……?
坂野 筑紫Aオールド明朝は絵となじみやすい感覚があります。他にも細い明朝体はありますが、エッジの処理などが鋭くてパキパキしているものが多く、絵に合わせやすいものは少ないです。僕の感覚ですけどね。
フォンテーヌ 確かに、イラストを生かした装丁で見ることは多いです。マンガのデザインでもよく使われていますし。
坂野 絵と文字は、情報を分けるという意味ではくっきり分かれている方がいいんでしょうけど、装丁全体のことを考えると互いに歩み寄っている感じがあったほうがいい。考えてみれば、文字(漢字)はそもそも絵からはじまっているものだし、筑紫Aオールド明朝は絵に還ろうとする特徴を残した設計なんだろうな。絵とすごく相性がいいんですよ。
一冊ごとの装丁を通して、文字へのアプローチを知る
フォンテーヌ それでは一冊ずつ文字が気になる装丁を紹介しながら、具体的なお話をうかがっていきたいなと思います。まずはいかにもホラーな1冊として、澤村伊智さんの『ひとんち』を取り上げたいです。
坂野 これは著者の初めての怪談の短編集なのですが、連作ではなく、一話ずつ独立した話。そこで、印象的なタイトルの表題作『ひとんち』にフォーカスしてデザイン案をまとめていきました。実は担当編集者からタイトルと簡単な要望をもらった段階で、なんとなく装丁のイメージができていたので、そこから若干調整はしましたが、大枠はいきなりこのデザインで提案しました。
フォンテーヌ 「筑紫Bヴィンテージ明朝L」で組まれた『ひとんち』というタイトルの文字が、意思ある霊みたいな、生き物っぽい感じに組まれているのが印象的です。
坂野 仮名のラインの面白さが、大昔からこの家に住み着いている霊を想起させるというか、文字の揺らぎで怖さを演出しています。文字をぼんと置いた段階から、「これはもういけたな」と。文字でデザインが担保された感じはありましたね。
フォンテーヌ ダイナミックなうねりのある書体なので、その特徴をすごく生かしていただいている感じがします。
坂野 そうですね。ずらしたりするうちに連綿体のような流れが生まれ、音読したときにも怖いようなニュアンスが出せたなと思います。
フォンテーヌ 次の作品『ドリフター』は、爆破テロで恋人を亡くした元自衛官が悪の組織に復讐を遂げるも、さらにその裏に巨大な黒幕がいて……というスパイ・アクションです。秀英初号明朝のタイトルと著者名が真ん中にバチッと置かれることで、パワフルで王道な感じがします。
坂野 そうですね。力強い書体で、かつゴシック体よりは明朝体がハマるだろうと思い選びました。僕の知り合いにハードボイルド系の小説が好きな男性がいて、「こういう本はタイトルが太い明朝じゃなきゃ読まない」と言っていたのを不意に思い出して。
フォンテーヌ こうして大きく配置されているのを見ると、秀英初号明朝のカタカナは書き出しが筆をぐぐっと置いたように大きくて特徴的ですね。
坂野 これは杉浦さんの受け売りなんですけれど、秀英初号の一番の特徴は、縦画がまっすぐなところなんです。一見癖のある書体に見えますが、置いてみると芯があるように感じられる理由は、ぎりぎりまで曲がらない線にある気がしています。こんなに太くてエレガントで、置いただけでもうロゴに見えるくらいの書体が、金属活字の時代に作られているのが驚きです。
フォンテーヌ 次は同じくタイトルが大きく入ったミステリー小説、岩井圭也さんの『文身』文庫版についておうかがいしたいです。こちらのタイトルは筑紫Aオールド明朝。繊細でスリリングな印象があります。
坂野 タイトルが2文字なので文字の強さは出そうと考えていたんですが、背景の絵にフォーカスするためにも、あえて中心にタイトルを置こうと考えるうちに、自ずと筑紫Aオールド明朝を選んでいました。また、もともと細めのウエイトを、線が欠けない程度にさらに細めて使っています。文字の谷間のところなどは少し形が変わってしまっていますが、このようにぎりぎりまで細めて使うことはよくあります。
フォンテーヌ 本当だ……! “はらい”の部分も切先のように鋭くなっていますね。この細く削ぎ落とされた形に、不安定さや危うさのようなものを感じるのかもしれません。
坂野 絵となじみやすいところも、選んだ理由としてあります。大きく使っても様になる書体ですね。
怖さ・怪しさを美しく表現するシリーズのデザイン
フォンテーヌ 最後に2つだけ、シリーズの装丁に使われているフォントについてもお聞きしたいと思っていました。河出文庫の『世界怪談集』シリーズ 新装版には「筑紫Q明朝」が使われていますね。
坂野 文字自体にある程度の強度があり、怪談としての「こわさ」を表現できる書体と考えたときに、筑紫Q明朝がいいなと。独特なデザインで、どの文字を打ってもタイトルロゴに見えるような美しさがありますね。
フォンテーヌ 同フォーマットで11冊(※取材時点)が刊行されていますが、タイトルと枠の色の組み合わせのユニークさに加えて「筑紫Q明朝がフォーマットに採用されている!」という驚きがありました。実際に拝見すると、Q明朝の古風なダイナミックさが怪談にピッタリはまっています。フォントはほぼ決め打ちだったのでしょうか?
坂野 デザインに入る前から個性の強い書体で考えていました。筑紫Q明朝は“ふところ”がぎゅっとしながらも裾にかけて広がりのある、不思議なバランスの書体だと思います。
フォンテーヌ そして京極夏彦さんの『百鬼夜行』シリーズ 文庫新カバー版では「筑紫アンティークL明朝」を使用されています。実は以前の文庫版を愛読していまして、印象を引き継ぎながらぐっとモダンな装丁になったと感じていました。
坂野 前の文庫版は画に合わせて京極さんご自身がデザインされていたんですが、新カバー版でも妖怪張り子の写真を使うイメージが出来上がっていたので、どうやって違いを出すか悩みました。妖怪張り子を大胆なトリミングで使い、文字を定位置に置くことを決めてからは、素直にこの形になった気がします。
フォンテーヌ 文字はシンプルに白一色。形が際立つ使われ方で、「フォントがいい仕事をさせてもらえている!」と嬉しかったです。筑紫Q明朝より仮名がオーソドックスなのも、妖しく静謐な印象にマッチしている気がしました。
坂野 この「姑獲鳥」の三文字だけでも、四角形の枠から解き放たれた、自由な感じのプロポーションが魅力的ですよね。実はこの仕事でも、フォントをわずかに細めて使っています。細くしても破綻しない基本設計の強さや、組んだときにすっと形が決まるのは、筑紫アンティーク明朝ならではだと思います。
フォンテーヌ 今回は「こわい本」にフォーカスしてお話をうかがってきました。それぞれ使われているフォントだけを見ても「こわさ」を感じるわけではないのに、装丁の中で文字が不穏さや緊張感を表現する要素になっているのには新鮮な驚きがあります。
坂野 書体のおかげでデザインのバリエーションを広げてもらっている感じはあります。同じ書体でもホラーでは怖く見える一方、時代小説では書のような見え方にもなったりと、文脈によって見え方が変わる面白さがあるので。
本を手に取る方の多くは書体まで気にかけないかもしれませんが、「なんとなく美しい」とか、装丁全体でその本の雰囲気を伝えられたらそれでOKかなと思っています。書体の微妙な調整によって生まれる“雰囲気”こそ装丁の肝なので、作り手として最善を尽くしたいと思いながら日々デザインしています。
フォンテーヌ 私たちが気になる本に手を伸ばすとき、その雰囲気を読み取って、引き寄せられているんですね……! 書体もそのために一つ一つ、形を見極めて選ばれているのがよく分かりました。本日はありがとうございました!!
(構成:フォントワークスnote編集部/文:堀合俊博)
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